東京大神宮
東京大神宮於今日七夕節句舉行「七夕祈願祭」。
授与所備有兩種用來寫上心願的短冊. 分別為女性用「織姫短冊」、男性用「彦星短冊」。
由巫女與神職將寫有心願的短冊,誠心祈願地繫於拜殿前懸掛的笹竹上。
下午五點以後,於拜殿開始舉行「七夕祈願祭」,祈願心願成就與除災招福。
祈願祭結束後,巫女會授與特別謹製「七夕守り」作為紀念品。
萬葉集4125首「天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交し 息の緒に 嘆かす子ら
渡り守 舟も設けず 橋だにも 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし 携はり うながけり居て 思ほしき 言も語らひ
慰むるはあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言どひの 乏しき子ら うつせみの
世の人我れも ここをしも あやにくすしみ 行きかはる 年のはごとに 天の原 振り放け見つつ 言ひ継ぎにすれ」
(最明亮的是織女星)
天照大神(太陽女神)時起,便有安川(高天原的天安河,此指為銀河)相隔
相互揮舞衣袖 傾注生命思戀 嘆息不已的人啊
渡夫不準備渡船 只有從橋上渡過 攜手緊緊擁抱相互傾訴衷心 驅散心中哀傷
為什麼要到秋天(七夕原舊曆七月七日) 才能短暫相聚 讓世人難以理解
歲月循環不斷 年年仰望高天原(天空) 講述這個傳說。
返歌二首
「天の川橋渡せらばその上ゆもい渡らさむを秋にあらずとも」
天之川有橋渡,從橋上渡過,不應只在秋天。
「安(やす)の川こ向ひ立ちて年の恋 日(け)長き子らが妻どひの夜(よ)ぞ」
隔安川相望,思戀一年的人,在今夜相會。七夕傳說分隔織女與牽牛的是天河(銀河),
在日本則將天河與アマテラス和スサノオ姊弟誓約生子,所相隔的「天安河(あまのやすかわ)」習合為同一。
東京大神宮的主祭神ー
- 「天照大御神 (まてらすすめおおかみ)」:治理高天原的太陽女神,日本神道最高神,伊勢神宮內宮之御祭神。
以下列舉日本神道之太陽女神之諸多別名:
天照日女命(あまてらすひるめのみこと)、指上日女命 (さしあがるひるめのみこと/さしのぼるひるめのみこと)、
天照大御神(あまてらすおほみかみ)、日神(ひのかみ)、大日孁貴 (おほひるめのむち)、
天照大日孁尊 (あまてらすおほひるめのみこと)、稚日女尊(わかひるめのみこと)、
伊勢崇秘之大神(いせいつきまつるのおほみかみ)、伊勢大御神(いせのおほみかみ)、
撞賢木嚴之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまざかるむかつひめのみこと)、
瀬織津姫 (せおりつひめ)、日孁女命(ひるめのみこと)、 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、
天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ)。
天石門別八倉比売命(あめのいわとわけやくらひめのみこと)。
天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ)。
說明一下「龍宮」=「ニライカナイ」即遙遠東方、海天相連之祖靈國度,
如日本的常世之國・根之國(ネノグニ),琉球神道亦相信此地為太陽女神所統治的諸神國度。
「天受久女龍宮王御神」視為「天照大御神」在琉球之別名。
- 「豊受大神(とようけのおおかみ)」:食物與五穀的女神,守護人們衣食住日常生活,伊勢神宮外宮之御祭神。
順便一提,「伊勢神道」記載豐受媛神由天降臨丹後國丹波郡比治里比治山頂麻奈井(真奈井),
是在崇神天皇39年7月7日,恰是七夕,大概是將七夕傳說與天女羽衣結合起來吧。
然後,在雄略天皇22年自丹後國迎豐受媛神至伊勢國與天照大神同住,這一天也是7月7日。
相殿配祀「倭姫命」與造化三神-「神產巢日神」、「天御中主神」、「高御產巢日神」。