伊弉諾神宮「抜穂祭」
伊弉諾(いざなぎ)神宮(淡路市多賀)の神事で使われる米の収穫などを行う「抜穂祭」が5日、
同神宮で営まれた。氏子の女性や県立淡路高校(同市富島)の女子生徒ら16人が菅笠に赤いたすき姿の
「御刈女(おかりめ)」となり「御斎田(ごさいでん)」で稲を刈り取った。
伊弉諾神宮之祭神為「伊弉諾大神」&「伊弉冉大神」。
日本書紀記載「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」
即指在淡路島,建造幽宮就此隱居,另說「伊奘諾尊「功(かむわざ)」既至矣,
「德(みいきほひ)」亦大矣。於是登天報命,仍留宅於「日之少宮(ひのわかみや)」矣。」
這就是「伊弉諾神宮」的由來之神話,伊弉諾神宮=幽宮=日之少宮。
不過關於伊弉諾尊是否真的前往高天原,在日本書紀卷十二履中紀記載:(履中)天皇狩于淡路嶋。
是日,河內飼部等從駕執轡。先是,飼部之黥皆未差。
時居嶋伊奘諾神,託祝曰:「不堪血臭矣。」因以卜之。
兆云:「惡飼部等黥之氣。」故自是後,頓絕以不黥飼部而止之。
所以伊奘諾是住在淡路嶋而沒有居高天原,另一方面伊奘諾惡飼部等黥之氣。
即討厭飼部紋面之血臭,原本紋面就是倭國之文化-入れ墨が権力者や呪術者、
特殊な職能を持つ者(馬飼・鳥飼など動物の飼育を担当する者達)。
至於伊弉冉大神根據古事記則最後留於妣國根之國。
宮崎神宮「抜穂祭」
宮崎市の宮崎神宮(杉田秀清宮司)で6日、五穀豊穣(ほうじょう)に感謝し、
御神田に実った稲を収穫する抜穂祭があった。秋の澄み切った風がそよぐ中、
かすりの着物にすげがさ姿の刈女が、6月の御田植祭で手植えしたヒノヒカリを丁寧に刈り取り、神前に供えた。
高瀬神社献穀田抜穂(ぬきほ)祭
9月21日(土)、井波地域で越中一宮高瀬神社献穀田抜穂(ぬきほ)祭が開催され、
農業従事者や地元住民約40名が見守るなか、
早乙女姿の刈女5名(中学生4名・高校生1名)がコシヒカリの稲を刈り取りました。
至於高瀬神社之主祭神為大己貴(大國主命),傳說當大國主在平定北陸回到出雲之時,
大國主神將自身之魂鎮守於此地而成為此地祭神之由來。